なんか好きなものについて、ちょっと書いてみよう

本、マンガ、映画、舞台、美術館、旅行。なんでも好きです。好きだなーと思ったものについて、書いて留めようと思います。

『アテネのタイモン』吉田鋼太郎

初見のシェイクスピア劇。
最初のシーンがあまりに華やかだったため、「あれ?『アテネのタイモン』って悲劇じゃなかったっけ?」としばらく考えてしまった。
しかし、そこから徐々に暗雲が立ち込め前半の最後には大崩壊。
前半最後の宴会シーンはクライマックスかってくらい、舞台に満ちていく緊張感がすごかった。
話を知らずに見ているもんで、「『タイタス・アンドロニカス』みたいに人肉でも食わせるのか?いや、全員凄惨な大虐殺か?」と妙に心配しながら見てしまった。


後半は延々とリアの荒野のシーンが続くよう。本気でタイモンを気にかける者と彼を欺く者の両方が彼を訪ねる。
残念ながら、彼に届くことばを伝えられたのは執事のフレヴィアスだけだったようだが。
前半では人間の美徳を説き続けたタイモンが同じ口で、人間を憎み続ける。
その両方に説得力を持たせられるのは、シェイクスピアの台本と吉田鋼太郎さんの演技が素晴らしいからなんだろうな。

 

哲学者アペマンタスとのやりとりが非常に良かった。
最初はタイモンの敵役かと思わせるような言動だが、しっかり聞くと誰よりもタイモンのことをよく見て警鐘を鳴らしていることがよくわかる。
後半のシーンでは、相変わらず口は悪いものの、タイモンに食べ物を与えるなど明らかに彼を気にかけている。
思えば後半のタイモンの言動は前半のアペマンタスのそれと似ていて、おそらくリア王の道化とリアのような、鏡の関係性なのだろう。

あとは、執事フレヴィアスとの関係性。この執事がどこまでもいい人で泣かせる。何があっても忠義を尽くすキャラクターというのは、シェイクスピアに限らずこの時代の演劇ではテンプレ的なキャラだったらしい。
横田栄治さんのああいうキャラクターってあまり記憶になく、最初の頃は「あれ?横田さんいつ出てくるんだろう?」って思っていたよ笑

あと、ラストシーン。
墓碑銘をつけた棒切れが十字架のように立ち、タイモンがゴルゴダの坂を登るキリストのように階段を登る。
あれを見て、キリストの暗示かなと思ったんだけど、それも納得がいかないなーと思う。
キリストは無垢のまま人類の罪を背負って死んだというのが、一般的な考え。
タイモンはアテネの人々の罪を背負って死んだと言えなくもないが、正直自業自得の部分も多くある気がして若干納得がいかない。いや、そう考えるとキリストも自業自得なのか?
原罪と、アテネの人々の不義理を同じように扱うのもなんか違くないかと思うしな…。

ともかく、蜷川さんの後を鋼太郎さんが継いでくれて良かったと心から思える良い舞台でした。