なんか好きなものについて、ちょっと書いてみよう

本、マンガ、映画、舞台、美術館、旅行。なんでも好きです。好きだなーと思ったものについて、書いて留めようと思います。

『勝手にふるえてろ』大九明子

痛い……。

見ていて本当に痛くなる作品だった……。

自分の殻に閉じこもる女性のメンタルを詳細に描きつつ、コメディタッチなところも非常に多いとても良い映画だった。
特に松岡茉優の演技が良い。
中学時代に好きだった相手に勝手に片思いし続けていた24歳女性が主人公。
この子が妄想癖があって、社交的じゃなくて、ネガティヴで……。
「ああ、本当にリアルにこういう人いるわ…。つーか、自分の中にもこういう面あるわ」と思わせられる説得力のある人物でした。
気分の上下激しすぎるし、ガラスどころか薄氷くらいのメンタルの持ち主で、見ているこっちがハラハラする。

(以下ネタバレあり)

さて、この映画を見ていて一番心をえぐられたのは「二」の扱いだ。
本当に恥ずかしい話だが、私はこの映画の「二」に自分を重ねずにいられない。
女性と付き合ったことはなく、どこか一緒に行くあてもない。
身だしなみも気にしないし、一緒にいるときにかける気の利いた言葉なんて逆立ちしたってでてこない。
映画は主人公と「二」のキスで終わるのだが、この映画は「二」が最終的に選ばれる話なのか。
私はそうは思わなかった。
「二」は「自分のことをすごく好きだけど、タイプじゃない男」という記号でしかなく、ある意味誰でも良かったのだ。
その記号の意味を強めるために、彼のダメさ加減を強めて表現してあった、徹頭徹尾。
途中で主人公の友達が「二みたい人はヨシカ(主人公)を悲しませない」みたいなことを言うが、本当に無責任な発言だと思う。

ヨシカが理想の彼氏も、妄想の友人たちも、現実の友達も職も失ったときに、最後に向き合おうとすがった現実の男性。
それはこの映画で「二」だっただけで、おそらく誰でも良かった。
ある意味彼の存在はご都合主義的だとさえ思う。

単純な話、この映画はヨシカのような女性の目線で描かれた映画で、「二」のような男性の目線は必要最低限になっているのだ。
この映画が駄作かと言えばそんなことはない。
ヨシカの描かれ方、そして彼女の感情起伏の激しさを余すことなく演じ切った松岡茉優の力に驚嘆した。
ただ単純に私が必要以上に「二」に自分を投影してしまっただけだろう。

映画のラストシーンのあと、2人がどうなったのか気になるところではある。
結局うまくいかず、別れてしまう気もするが、それはおそらく大きな問題ではない。
ヨシカのゴールは、「二」と付き合うことではなく、「二」と向き合うことだったのだろう。

 

好きなセリフ(うろ覚え)
「孤独ってこういうことか」
「まだ愛してはいない。好きだけど」