なんか好きなものについて、ちょっと書いてみよう

本、マンガ、映画、舞台、美術館、旅行。なんでも好きです。好きだなーと思ったものについて、書いて留めようと思います。

『冬物語』ブラナー・シアター・ライブ

ポーライナがジュディ・デンチ、リオンティーズがケネス・ブラナー

リオンティーズは統合失調症のようなものなのか。(いや、特にそう思わせる演出なわけではないけど、そう思わないとこの話をリアルに見れないんだよね)
裁判のシーンでのリオンティーズの変わり身にだけはどうしても、うまく乗っかることができない。

ポーライナは流石の重厚さ。今までみたもののイメージでもう少し若いイメージだった(多分MSPのせいだな。AUNのポーライナはどうだったっけ?)
確かに王様にあれだけのことを言うことを考えれば、ジュディ・デンチのような品位ある高齢の女優がやるのは自然なんだろう。
だけど、ポーライナがコミカルじゃないと、前半の悲劇感が強まるね。

ラストシーンのジュディ・デンチの声が圧巻。あれ生で聞いたら泣く…(映像でもやばかった)
あの声を何と表現すればいいんだろう。
朗々とではないし…
よく響き、ラストシーンの神秘性を強めていたと感じた。
あと、ラストシーンでは、ハーマイオニの「あなたに会うために生きてきた」の一言にグッときた。

リオンティーズが本当に許されていいのか、現実の価値観で考えると難しいところだよな。マミリアスは亡くなってるわけだし。
だけど、この物語ではパーディタの存在が全ての救いとなってエンディングとなる。おとぎ話のような団円が、この戯曲には合っている。

『ゴドーを待ちながら』Kawai Project

芝居を見たり、調べたりするとしょっちゅう名前を見るし、パロディは年中やってるけど、原典は中々やられない。

そんなゴドーを正統派演出で見る機会がついに与えられ勇んで見に行く。

 

見た感想を一言で言えば、「なるほど、これはわけわからん」

かろうじて、ゴドーという名前はgodからきてるということを先に知っていたため、その認識と乏しいキリスト教知識を総動員して、話の意味を探る。

 

ゴドー(神)を待って、繰り返しの毎日を送る2人の人。しかし、神の代わりに現れるのは、傲慢な人間。
舞台で描かれる二日間の前にも後にもゴドーを待ち続ける日々が続いてるんだろうな。
苛立っている、それでもゴドーを待ち続ける2人が何故待つのか、何に苦しんでいるのか我々にはわからない。
ただし、我々の人生も何のためにあるのかはわからない。そういう話なんかな?
一回見ただけではとても語れないそんな劇。

 

以下、メモ。

ポッツォは高圧的な聖職者?人に話を聞くことを強要する。自分の思う通りに物事を進めようとする。言うことは矛盾だらけ。
ゴドーを待つ木の前を1人で独占しているようにとれた。一方でギリシャローマ神話の話を多くしたのが謎。
ラッキーは人民?何を考えているのかわからず、従わされているようで時に凶暴でもある老人。

ゴゴのほうがナマグサ者。
ディディのほうが全体的に穏やかだが、それでも突然癇癪をおこすこともある。

危機一髪やローゼンクランツとギルデンスターンは死んだをなんとなく思い出す。

 

追悼 平幹二朗さん

数年前の劇団四季ヴェニスの商人』で平さんを見た。

正直言って、劇団四季シェイクスピア劇は好きではない。(といっても二本しか見ていないが)
彼らが誇りとする母音法で全てのセリフが語られると、どうしても一本調子に聞こえる。
他の劇団なら畳み掛けるように発するセリフも四季では全て母音法で語られるため、多少ゆったりとしたリズムに聞こえるのだ。
軽快で楽しいグラシアーノーのセリフも、ユーモラスなラーンスロットのセリフも、陰鬱なアントーニオのセリフも全て似た調子に思えてしまう。
無論、聞き取りやすくて良いという人もいるだろうが、正直まだるっこしいと私は感じてしまう。
そして、『ヴェニスの商人』という話もこの頃は好きではなかった。
主人公たちの独善的であっけらかんとした考え方がどうしても好きになれず、楽しめない。
かと言ってシャイロックにも100パーセント共感はできない。
そんなこんなで、物語途中までこの『ヴェニスの商人』を全く楽しめずに見ていた。

 

それでも、たった一言のセリフで一気に魂を持ってかれる瞬間があることを教えてくれたのがこの『ヴェニスの商人』だった。

 

「それが法律ですか?」

 

裁判のシーン、ポーシャから残酷な判決を受けたシャイロックの直後の言葉。
信じられない、許せない、理不尽だ。
ポーシャに問いかけたのではなく、キリスト教徒全体に、自分をはみ出し者として認めない社会全体に問いかけたように聞こえた。
あの言葉を聞いた瞬間に、一気に心がシャイロックに引き付けられた。
ああ、この人は自分以外全員が敵のこの境遇でどれだけ孤独に戦っていたのかと。
この人は社会全体に対して、どれだけの怒りを、納得のできない気持ちを抱えてきたのだろうと。
怒りだけでも悲しみだけでもなく、シャイロック自身でも理解しきれてはいないであろう全てが込められた一言だった。

あのシーンの衝撃は忘れられない。

 

今まで4人のシャイロックを見た。
吉田鋼太郎市川猿之助、山口嘉三、そして平幹二朗
皆さん個性的で、それぞれ違ったシャイロック像を見せてくださった。
その中でも平さんのシャイロックは一番、人間的だった。

 

心よりご冥福をお祈りいたします。

『竜のかわいい七つの子』九井諒子

ダンジョン飯』の作者の短編集。全部ファンタジーなんだけど、一つ一つ個性があっていい感じ。
以下一つ一つの感想。

①竜の小塔
二つの国の戦争の話。キノの旅ちっく。
まあ、落ちは予想通り。

②人魚禁漁区
人魚が当たり前にいる世界観の話。世界と人魚の存在の作り方がうまくて、面白い。最後はちょいショックだったけど、よくできた話。

③わたしのかみさま
これもよくあると言えばよくある設定。
両親がめちゃくちゃいい人なのが斬新。

④狼は嘘をつかない
これが一番好き。
自分を抑えられず、軽い狼人間化してしまう男子の話。
始まり方が意外だったし、キャラクターがいいよね。みんないい人で救いのある話が好きだわ。

⑤金なし白祿
これも好き。
いろんな墨絵風の動物がでてくるのが楽しいし、ラストも予想してなかったからじんわりきた。

⑥子がかわいいと竜は鳴く
女性が本性を出してから、いろいろと複雑な心情の変化があって面白い。何回か読み返したい。

⑦犬谷家の人々
パジャマを作る超能力に笑う。最後のセリフが好き。

『レッドタートル』マイケル・デュドク

人が生まれ、愛する者を見つけ、子どもを産み育て旅立たせ、時に理不尽な命の危機にあいながらも寄り添いながら生きていく。人間の人生と死を無人島の中というミニマムな舞台の中で圧縮してシンプルに描く。
余計なものを全力でそぎ落として生と死と愛だけを描きたかったのかな。そんな映画。
少し前に生きていた生き物が数シーン後に死んだ姿で登場する生と死のメタファーが好き。

いくつかの謎は残る映画。

赤いウミガメは男に島にとどまってほしかったのかな?目的はなに?愛?

なぜ男はカメを殺したことを悔いたのだろう?カメに限らず、魚介類以外の動物を食べないのはなぜだろう?アザラシもカメも食えるだろと思ってしまった。

子どもは文明社会に向かったのか、海に向かいカメになったのか。見ている時は漠然と人間社会に向かったと思ってたし、パンフレットもそんなことが書いてあるけど、よく考えたら海の世界の可能性もあるよな。まあ、どちらでもいいのだけど。

『エマ』森薫

一気に読みすぎて、細かいところ頭に入っていない気がするけど、よい話。
19世紀イギリスでの、ジェントリとメイドの恋物語
とりあえず、その時代のイギリスの雰囲気とかアイテムとか大好きって人にはオススメ。そのあたりに興味がなければ、まあ、普通のラブストーリーになっちゃうのかな?

オースティンとかまた読みたくなったわ。
ちょくちょく入ってくる用語が解説必要なものだったりで、イギリス文化を多少わかっててよかったーと思いつつ、多分わかってないネタもあるんだろうな。
あと、一気読みしすぎて、各登場人物の人間関係が一致しないまま読みすぎた。
メイドたちとか、名前のちゃんとあるキャラなのかモブなのかわからんくなるわ。
あと兄弟多すぎ笑
エマもウィリアムも好きだから、幸せになれてよかったし、かわいそうだったエレノアに幸せの兆しがあったのは本当によかった。
最後の結婚式はとりあえずみんな(お父さんとアーサー以外かな)笑顔で、幸せそうな終わり方で安心した。
あ、でも社交界に背いて生きていく2人がどんな生活をしていくのかを、もうちょっとちゃんと読みたかったような、でもそれは本当に面白いのか疑問なようなそんな気がする。

 

【気に入ったセリフメモ】
2巻「ただ守る為だけに守る伝統は僕は嫌いです。それじゃ固執だ。」
6巻「自分の決定が間違っていたことを認めるのも責任のうちです!!」
10巻「生きたと言えるような人生を生きたいから、やったと言えるだけの事をやりたいのよ。」

『聲の形』(映画)山田尚子

漫画が面白かったので,映画まで見てきた。

 

※ネタバレ注意

漫画の各シーンをうまくつなげて,石田の成長や,西宮姉妹との交流を描くことに成功しているなー。というのが印象。まとめていく中でどうしても,長束,佐原,真柴,川井,島田,西宮母といったサブキャラたちは扱いが軽くなるけど,しょうがないよね。真柴や川井の毒がちょっと軽くなってた気がする。

その分,石田,硝子,結弦,植野あたりは非常によく描かれていたし,演じられていた印象を受けた。過去とかは多少取っ払われていたけど,いい描かれ方をしていた。

キャラクターたちの描かれ方がまさにそうだと思うんだけど,原作でやや分かりにくく描かれていた部分を削ったり補完したりして多少シンプルにしようとしたのが映画版かなって気がする。

でも,橋でのシーンとか植野と西宮母の喧嘩のシーンとか大事なシーンで微妙にセリフが違ったのは,どう変わっていて何を意味しているのか,もうちょいちゃんと聞きたかったけど,初見だと違っているところに気を取られて聞き取るのが難しかったわ。

映画でぐっときた名シーンは次の3つ。

①結弦が石田のお母さんに土下座して,「俺のカントクフユキトドキです…」と謝るシーン

漫画でもある名シーンだけど,声が入っていることで余計にぐっときた。結弦本当にいい子だよな。

②植野と西宮母の喧嘩のあと,西宮が石田の母の足にすがって泣くシーン

これは原作にはなかったシーン。原作で石田のお母さんが,「(今は)何を言っていいのかわからないの」と言うシーンも好きなのだけど,これはこれで硝子の苦しみが伝わってきてよいシーンになっていた。あ、でも改めて見ると原作のほうが好きかも。どっちだろうな。硝子かお母さんかどっちに焦点をあてるかの問題の気もするけど。

③橋で石田と硝子が再開するシーン

原作では無音だったシーン。映画では声付きで,「私がいなくなればいいと思った」と泣きながら言う。実際の聴覚障害の人がどう感じるかはわからないけど,障碍者らしく,でもわかるように言う声優さんはすげーなと思った。あと,このシーンの手話は原作でもわからなかったのでうまく補完してくれてありがたい。このシーンだけでも映画見に行ったかいがあったと思う。

 

あと,小学校時代のシーンで,最初は面倒を見ていた植野が面倒くさくなってきてしまい悪口が始まっていくところは,映像のほうがわかりやすいなと思う。

一方でそのいじめの陰惨さというか,痛々しさは漫画のほうがきつかった。特に映画では石田が被ったいじめが軽めに描かれていたなという印象。その分,補聴器のお金を払いにいくリアルなところはじっくり描かれていて,監督なりの軽重のつけ方が興味深かった。

もう一度見て,じっくり原作との違いについて考えたいけど,たぶんお金払って二回目は見に行かないだろうなー。